Voice 006.  心理学の国家資格化をめぐる二種類の割れについて  ―元型的割れと誤情報―

 

 森谷寛之

(京都文教大学, 元日本心理臨床学会常任理事,(現)理事,日本心理学諸学会連合理事,臨床心理職国家資格推進連絡協議会会員,元京都府臨床心理士会会長)


(1)元型的割れをめぐって

 心理学の国家資格の行方が不透明になっている。今,どのような事態になっているのか,その現状認識が重要である。

 まず,国家資格がこれほど混乱している一番根本的な問題は,心理学自体がとても困難な学問であるということである。これについて筆者は何度か述べたことがある。(森谷寛之 2011.08.31 科学史における心理学の登場―近代科学誕生から400年 日本心理臨床学会編 心理臨床学事典 丸善出版 pp.4-5.)

 心理学史にエビングハウスの有名な言葉「心理学の過去は長いが歴史は短い」がある。言いかえると,心理学は近代諸科学の中でもっとも遅い誕生ということができる。ガリレオが望遠鏡で天体観測を始めた1609年を起点にすると,最初に生まれた物理学(17世紀),近代医学,解剖学(16世紀),近代化学(18世紀),生物学(19世紀)よりも遅れ,一番最後(19世紀の後半)に登場してきた。

 しかも,ややこしいことに,私の言い方では,「心理学は二度にわたる誕生である」。最初は「精神物理学(実験心理学)」として,それから半世紀後に,医療分野に「臨床心理学(精神分析)」として誕生した。それ故に,人類にとって,臨床心理学は精神物理学よりも発見が難しい学問であった。しかし,精神物理学がなければ,臨床心理学も誕生しなかったはず。臨床心理学は精神物理学に感謝する必要がある。この二つの分野は心理学というくくりになっているが,まったく方向性が異なるのである。心理学はその誕生から方向性の違う学問分野を含んでいた。このことを世間に説明するのがむずかしい。国会答弁ではどういう質問になるのか。医学と心理学の関係も説明がむずかしかろう。フロイトでさえ,「レイ分析の問題」(1926)で説明に苦労している。

 心理学誕生にはこれら先行学問がすべて必要だった。たとえば,ガリレオやニュートンによって物と物の相互関係が「力の三法則」,「万有引力の法則」として発見されなければ,「心理力動論」や「人間関係」という発想は成り立たない。解剖学の知識がなければ「深層心理」,「こころの解剖学」はなかった。心理学はもっとも身近でありながら,一番発見が遅れた。すなわち,人類が一番見たくない,避けて来た学問である。それ故に,国家資格も他の学問分野のどこよりも遅いのは当然である。

 これらは,ユング的な言い方にすれば,元型的な食い違いであり,解消することはとても困難である。国家資格ができたからと解消されない。今後もずっと抱えていくべき問題として残る。公認心理師法案で言えば,「医師の指示」問題にこれが現れていると言えよう。2005年の「二資格一法案」の時に,河合隼雄先生が苦労されたのも,この問題である。今,先生が生きておられてもなお,この問題は苦労されていると思う。

 さて,学問分野が割れているということは先例がある。筆者の学生時代,1960年代は経済学の分野が割れていた。あそこの研究室(大学)とあそこの研究室(大学)は,互いに喧嘩しているとうわさをしていたものである。すなわち,マルクス経済学と近代経済学である。この対立はとても激しかった。今,そのようなことは聞いたことがない。学問的に成熟したのであろう。

 それ以前は,20世紀初めには物理学が割れていた。古典物理学と量子論の論争である。もっと以前なら,医学が割れていた。医師(medicine)とは内科医のことであり,外科(surgery 手の仕事)は医学ではなかった。外科医は医師になろうと苦労した。近代日本では西洋医学と漢方医学が対立していた。今は,これらの対立は解消したわけではないだろうが,互いに理解が進み,相補性の原理によって仲よくやっているように見える。

 1980年代以後,心理学が割れている。あの大学(研究室)は「実験系」で,あの大学は「臨床系」。どちらにするか?ほぼ精神物理学一色の世界だった大学に,臨床心理学が台頭してきたからである。

 これらは教授同士が仲が悪いというわけではない。学問対象自体に由来する。人間の体が内科と外科の二つのアプローチを必要とした。身体とこころの割れに由来する。物理学者の争いは,自然自体の複雑さに由来する。経済学者の争いは,社会階級が背景としてあるからである。

 心理学が割れているのは人間のこころの本質に由来する。人間のこころに「意識」と「無意識」の分裂がある。その背景が心理学派の方向性の違いとして反映している。これらの方向性の違いは,元型的な次元の問題であり,今後とも容易には解消しない。できるのは相補性の原理に従うだけである。

 筆者は日本心理臨床学会代表の理事として「日本心理学諸学会連合」にこの10年間以上,討論に参加してきた。2005年頃当時は,臨床系は少数であるが台頭する勢いがあった。そのために議論はとげとげしい内容で,お互いに不快であった。日本心理臨床学会は,いつでも諸学会連合から脱退する構えでいた。しかし,このような激しい議論を通じて,お互いに心理学の学徒であるという自覚が出て来た。今は不思議なほど対立はない。これはこの10年間の大きな変化である。現在,ほぼ日本の心理学会が全部所属するまでになった。ただし,対立はなくなりはしないことは付言しておこう。なぜなら,こころの本質が割れている限り,それは内在する。今は,それを自覚しつつ,国家資格に向けて大同団結している。会議時間も短縮し,拍子抜けするぐらいである。この10年間の一番の大きな変化は,この事実経過,変化は一般の臨床心理士にはあまり知られていない情報ではないだろうか。

 二資格一法案時に反対した医師会も今回は,応援してくれている。心理学界内部,医療団体,看護をはじめ関係団体との関係も問題はない状態である。国家資格は,すんなりとまとまりそうなはずである。しかし,不思議なことに現状を見るとそうなっていない。今,2015年2月,臨床心理士代議員選挙のかかわる国家資格を巡る争いは,実験系と臨床系の争い,心理学と医学の争いではなくなっている。以上の問題は,2005年の二資格一法案の時の重要懸案事項であった。それらは解消した状態にある。しかし,今は,これまでまったく想定しなかったまったく別の問題が浮上してきたと思う。

 これについては次回に考えてみたいと思う。