Voice 020. 私は臨床心理士に期待している(前編)

松本俊彦

(国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所薬物依存研究部 部長/自殺予防総合対策センター 副センター長

薬物依存症臨床は「おいしい」ぞ!

 これまで私は、臨床においても研究においても何人もの臨床心理士に助けられてきた。たとえば、私はこの数年、SMARPPという薬物再乱用防止プログラムの開発と普及を行ってきたが、これは頼りになる臨床心理士がいればこそできたことだ。そんなわけで、まずは、私の専門の一つである薬物依存症臨床という立場から、臨床心理士に対して期待していることを述べるところからはじめよう。

 私は、薬物依存症臨床は臨床心理士にとって「おいしい」分野であり、この分野にコミットすることは、近い将来、この職種にとって大きなビジネスチャンスとなることはまちがいないと確信している。なにしろ、平成18年の監獄法改正以降、刑事施設や少年施設ではすでに薬物再乱用防止プログラムが実施されており、平成28年の「刑の一部執行猶予制度」(簡単にいうと、薬物事犯者に対して刑期の一部を地域内で処遇する制度だ)の施行を控え、保護観察所のような司法機関はもとより、地域の保健医療機関でもプログラムの立ち上げが喫緊の課題となっている。こういった臨床現場で切望されているのは、認知行動療法や行動療法、あるいは動機づけ面接に通じた心理療法の専門家だ。おそらく近い将来、医療機関における外来依存症治療プログラムには何らかの診療報酬の加算がなされることが予測されているが、そうなった場合、医療機関でもプログラムを実施できる援助職のニーズは急激に高まるであろう。

 この分野が臨床心理士にとって「おいしい」のは、次の二つの理由による。第一の理由は、結局のところ、「覚せい剤を嫌いにする治療薬」など存在せず、心理療法以外に提供できる治療法がないというものだ。「夜眠れているか、食事しているか、歯を磨いたか……また来週」というドリフターズ外来で処方せんを書くしか能のない精神科医には、薬物依存症は手も足も出ない問題なのだ。

 そして第二の理由は、平均的な精神科医の多くにとって、薬物依存症患者とは招かれざる客であり、できれば遭遇せずに、平穏に自らの職業的キャリアを終えたいと考えている。その意味では、精神科医療におけるこの分野に限っていえば、臨床心理士には精神科医という最大の競合相手がいないのだ。

 もちろん、「自分は薬物依存症患者なんか全然担当したことないし、研修したくともそもそも近郊に専門病院がなくて無理」という方もいるであろう。しかし、そのような人の場合でも、たとえばCRAFT(Community Reinforcement and Family Training)のような技法を用いて依存症者家族を支援することならば十分にできるはずだ。なぜなら家族は薬物を使っているわけではない。重要なのは、薬物に関する知識ではなく、アディクション問題を抱える家族に介入するための心理臨床のセンスだ。


卒後教育システムを!

 だが、将来、臨床心理士がこの領域で活躍し、「薬物依存症といったらそりゃ心理の仕事でしょ」と認識されるようになるには、いくつかの課題がある。

そのなかで最も重要なものは教育だ。これまで一緒に仕事をしてきた心理士の多くは、最初のうちはまったく使いものにならなかった。たとえば薬物依存症臨床では生活保護法や精神保健福祉法、各種福祉制度に関する知識は必須である。しかし、スクールカウンセラーや教育相談しか経験のない若手臨床心理士の大半は、生活保護や精神障害者手帳といった福祉制度の知識はまるでないし、ダルクがなんなのかさえも知らなかった。しかたなく、外来の陪席をさせたり、自助グループやダルクに連れ回したり、グループセッションを何度となく見学させたりした。結局、こうした研修は、医療機関においては医者の役割となるが、この分野を牛耳るには教育も医療機関に頼っているだけではダメだ。ある程度は独自の教育カリキュラムを持つ必要がある。

 もちろん、最初から何もかもできる必要はないし、医者だって最初は使いものにならない点では、臨床心理士と何ら変わるところがない。しかし、決定的に違うのは、医者の場合、一応、卒後研修のシステムが存在するという点だろう。

 なるほど、悪名高い「医局人事」だが、実は単なる「就職先斡旋団体」ではないのだ。多くの場合、若い医者が様々な精神疾患をまんべんなく経験できるように工夫さている。たとえば、大学病院での初期トレーニングからはじまり、その後、精神科病院や総合病院精神科といった性質の異なる関連病院をローテートし、その間に精神科専門医や精神保健指定医の資格を取得する。最後は大学病院で後進の指導に当たって、やっと一人前といった具合だ。その意味では、大学医局が関連病院に医局員を派遣して「勢力範囲の維持」に努めるのは、単に戦国武将さながらの国盗り合戦ごっこだけが目的ではない。むしろ、若手医師の研修先を確保する意味合いの方が強いのだ。

 一方、臨床心理士はどうだろうか? 私には、臨床心理士の卒後研修は完全に個人の意欲や努力に委ねられているように見える。いまのところ、臨床心理士になった後には、資格更新以外に取得しなければ臨床業務に支障が生じる資格はないから、自分のやりたい領域の臨床だけをやっていても、誰からも文句はいわれない。そのせいで、最初に教育関係の職にありついた人はずっと教育だし、矯正の職に就けばその後もずっと矯正だし、医療の職に就けばずっと医療という傾向が強くなる。

 こうしたキャリア固定化傾向は、そのポストが安定的なものであればあるほどいっそう顕著だ。その結果、その人が臨床活動で扱えるクライエントの年代やメンタルヘルス問題が固定化するだけでなく、知識のアップデートも停止し、教育相談とかでたまに見かける、勤続ウン十年、シーラカンスのように脳ミソが固まった「心理婆」が完成してしまう。私は、少なくとも臨床心理士としての最初の数年は、可能な限り経験の幅を広げた方がよいと考えている。というのも、私の経験上、専門分野の臨床力は意外にもその近接する他分野の経験によって飛躍的に高まるものだからだ。

 誤解しないでいただきたいのだが、私は決して臨床心理士業界に対して、「医者と同じように医局制度を作れ」といいたいのではない。医局制度を軸とした卒後研修システムは、かつてまだ医者が少なく、「売り手市場」だった時代に確立した慣習で、本質的には「ケツ持ちをしてあげるからミカジメ料を払え」という暴力団の論理と同じだ。したがって、医局制度そのものを臨床心理士業界がまねる必要はない。

 しかし、それでも、何らかのかたちで卒後研修のシステムを考えてほしいのだ。たとえば、公認心理師が国家資格として認定された後には、さらなる臨床上の権限を持つ上位資格を設定するという方法がある。そして、その資格の要件として、様々なタイプのメンタルヘルス問題、様々なセッティングでの臨床経験を課すわけだ。