Voice 013. 認知心理学を研究する臨床心理士として思うこと

小山内 秀和(京都大学)

 私は臨床心理士として臨床の現場にも従事したことがありますが,現在は実践の現場から離れ,認知心理学の大学院に所属して研究をしております。今回は基礎と臨床の双方に身を置いた立場から,心理職について考えるところをお話ししたいと思います。

 これまで,心理学のなかで基礎領域と臨床領域とが微妙な関係であったことは,多くの心理学関係者が認識するところだと思います。私は心理学領域に足を踏み入れてからそう長くはありませんので「若手」と称される世代なのでしょうが,そうした時代が長くあったことは,さまざまなところから聞き及ぶところでもあります。そしてそれは,現在の公認心理師に関連する諸問題においても,残念ながら少なからぬ影を落としていることは否定できないでしょう。

 それでは,現在の「基礎」と称される認知心理学分野の研究者は「臨床」領域をどう考えているでしょうか。私の印象では,年を経るごとに臨床領域への関心が高まっているように感じられます。例えば,ワーキングメモリの研究者はADHDやASD,高次脳機能障害などの病態の解明に関心を寄せていますし,情動や衝動性の研究者は,不安障害や摂食障害などにもその知見を応用できるのではないかと考えています。もちろんこれは,「基礎研究の成果を実践領域や社会へ還元することが求められる」という昨今の風潮がその要因であるのは間違いありません。海外でも「科学的心理学会 (Association for Psychological Science: APS) 」という国際学会が「Clinical Psychological Science」という学術雑誌を2013年に創刊しています。しかし,どのような理由があるとしても,基礎領域の研究者がこれまで以上に臨床や実践に目を向けるようになったことは大きな進展であるように思います。

 そうした流れのある現状において,「公認心理師」が国家資格として国会に上程されたことは,心理学という学問がわが国の国民に貢献する好機であると思います。そも,心理学は,その基礎と臨床との差異に関係なく,等しく「人間の心と行動とを解明し,その知見を人間のwell-beingのために還元する」ことを目的としているのではと思うのです。そうであるならば,今回の「公認心理師」資格は,社会に,そして市民一人ひとりのwell-beingに,心理学が一丸となって貢献するための,二度と来ないかもしれない機会なのではないでしょうか。

 人間の心と行動はとても複雑であるがために,統計的手法や客観的測定といった「科学的」な手続きによって個人の心的過程の奥深くまでを見通し,援助を行うことは困難かもしれません。しかし,「科学的」であることは間違いなく,あらゆる心理学の下位領域において「武器」たるものだと思います。それは,どのような理論であれ,高度に発達したこの社会において「市民にとっての益になる」ことを証明してくれるほぼ唯一の手段であるからに他なりません。この「市民にとって益になる」ことこそが,心理学が社会に貢献できることを発信するための強力な根拠となるのではないでしょうか。そしてこれは,「公認心理師」という資格の強固な基盤となり,心理職者が「人々に貢献できるだけの」安定した立場を確保することの土台となるものだと思うのです。

 臨床の皆さん,どうか「基礎」心理学を「こき使って」ください。余すところなく利用し尽くしてください。心理学が,公認心理師が,クライエントに貢献するものとなるように。

 現在,心理職は多くの実践現場においてその重要性が徐々に実感されている専門職であると思います。そうした土壌を築き上げてきたのは,実践で活躍してこられた臨床領域の先達の賜物でありましょう。「公認心理師」法案は,その努力が実を結びつつある一つの形でもあろうと思います。発達障害や虐待,うつや自殺,統合失調症や高次脳機能障害など,社会に生活する人々が直面している「こころ」に関する問題はさまざまあって,その重要度,深刻度はますます大きくなっています。こうした問題に心理学が貢献する途を,この機会に基礎・臨床の垣根を越えて考えていけたらと思うのです。

 今回の議論の先に,臨床と基礎とが協働して,わが国の国民に貢献できる心理学の体系を改めて構築される未来が待っていることを,願わずにはいられません。