Voice 011. 心理学の国家資格化をめぐる二種類の割れについて ―元型的割れと誤情報―

 森谷寛之

(京都文教大学,元日本心理臨床学会常任理事,(現)理事,日本心理学諸学会連合理事,

臨床心理職国家資格推進連絡協議会会員,元京都府臨床心理士会会長) 

(2)誤情報による混乱と割れについて 

 <臨床心理士内部の問題に>

 今,法案をめぐって露わになってきたのは,2005年当時にはなかった種類の争い―臨床心理士内部の争いである。ある人は今日の混乱を「誤情報」の氾濫と呼んだ。筆者も同感である。この「誤情報の氾濫」は2005年にはなかった。対立は明確であったが,誤情報はなかった。現在は,「誤情報による混乱」であり,これは人災である。臨床心理士としてまことに恥ずかしい事態である。臨床心理学的に考察するべき課題である。

 

 <医療心理師の登場―二資格一法案(2005)と公認心理師(2014)の10年間―>

 2005年の二資格一法案と2014年の公認心理師の間には,約10年の時間がある。以前のことを知らない人が半数になるだろう。この10年の間に,二つの資格問題を身近に経験した人間はごく少数になっている。幸か不幸か,筆者はこの10年間,二つの資格問題を身近に体験してきた。この経験を伝えたいと考える。現在の混乱状況が少しでも見通しのよいものにできればうれしく思う。

 筆者は2003年11月~2012年5月まで日本心理臨床学会常任理事,業務執行理事であった。2006年5月~2010年5月の間,京都府臨床心理士会会長。この間,日本心理学諸学会連合理事,臨床心理職国家資格推進連絡協議会メンバー,また,大学院研究科長として日本臨床心理士養成大学院協議会総会に参加してきた。

 これは経歴を自慢するためではなく,どこの体験に基づくものかを示すためである。まさにちょうどこの時期,2005年に医療心理師の国家資格化が「寝耳に水」という状態で急浮上した。河合隼雄先生,大塚義孝先生,鑪幹八郎先生(心理臨床学会理事長)らが結束し,医療心理師に対抗し,議連を立ち上げた。鑪理事長が推進連を立ち上げられた。結果,両者が拮抗する形のいわゆる二資格一法案となった。

 「学部卒の医療心理師」と「修士修了の臨床心理士」が一つの法律のもとに誕生する予定であった。国会に上程される以前に,医師団によってつぶれた。

 現在の資格追究は,この反省から出発している。付言しておきたいのは,推進連は,「臨床心理士の精神を活かして国家資格を実現しようとする団体」と筆者は理解している。主体は,心理臨床学会と日本臨床心理士会である。その証拠として,推進連で承認された心理臨床学会のカリキュラム案は,現行の臨床心理士のカリキュラムそのものを参考にしている。

 この10年間の努力は,医師団,心理学諸学会との交渉であった。執行部は,学部卒の資格を取り払おうと努力を続けて来た。また,推進連のカリキュラムでは学部卒の資格にならないような苦心がなされてきた。そして完全に学部卒をなくすことはできなかったが,大学院をメインとする資格に一本化できた。前進と言える。二資格一法案を了とした人たちが,「学部卒」の資格だから反対というのは,まったく筋が通らない。2005年当時,学部卒どころか,専門学校卒でもよいという意見も出たことを考えるとその差が大きい。今は学部卒の資格を推進する人はいない。医師からも基礎心理学会系からも,諸学会連合でも,大学院をメインにするということに反対意見はまったくどこからも出ていない。「学部卒」を口にするのは,皮肉なことに資格反対派の人たちだけである。これこそ反対のための反対であり,「誤情報」と言わなければならない。

 医師の指示問題は公認心理師と医師との元型的割れに属する。容易に解消しない問題であり,今度とも検討課題である。しかし,これが臨床心理士の活動に大きな問題が残るとは考えていない。もし,これで公認心理師の活動に障害が生じれば,これこそ世論を味方につけて闘うしかないだろう。

 

 <医療心理師の登場―「邪魔しないでくれ!」>

 なぜ,2005年に医療心理師が登場したかである。当時,筆者は学会常任理事として,対抗するために,医療心理師側の人とも話すことがあった。その時に印象に残っている言葉がある。

 「臨床心理士が国家資格にするつもりがないのなら,われわれは必要だから国家資格を作る。邪魔しないでくれ。」

 この言葉の意味がお分かりであろうか。病院勤務で国家資格を切実に必要としていた。だから「臨床心理士が国家資格」になるのを待っていた。しかし,臨床心理士は国家資格化をしようとはしていないように見えた。だから,自分たちで実現可能な資格制度を作る。だから邪魔するな。

臨床心理士が2005年までに資格が実現していたら,また,実現への具体化が見えていたら,医療心理師は登場しなかった。当時,臨床心理士国家資格化の具体的展望はなかった。

 このことは筆者も漠然と感じていたことであった。すなわち,1995年のスクールカウンセラー制度によって社会的に認知され,それが弾みに国家資格になることを期待していた。しかし,この頃,なぜか,資格化の動きが止まったように筆者からも見えた。彼らは,臨床心理士が国家資格に当分ならないと見抜いたのである。

 筆者は,2005年の資格が頓挫した以後,とりわけ河合先生が亡くなられた後,日本臨床心理士資格認定協会の人たちの動きをずっと注視していた。しかし,国家資格化への熱意,動きが見られなかった。今もないと言わざるを得ない。推測であるが,専門職大学院制度が出て来たことで,これはもう国家資格と同じだと思い,それ以後,ストップしたのではないか。これは後日いつの日か,歴史家がこの間の内部情報を明らかにしてくれるだろう。

 国家資格化の意志があるのか,ないのかである。口ではあるという。筆者は,現在もないと見る。認定協会の発行するものに,過去の業績自慢ばかりであり,それを国家資格化にどうつなげるのかについては何も書いていない。

 そうすると,筆者の言葉は,先の医療心理師派の言葉に近くなる。

「臨床心理士が国家資格にするつもりがないのなら,われわれは必要だから国家資格を作る。邪魔しないでくれ。」

 資格反対派ならば,これに対して,「いや国家資格化をするつもりである。〇〇年には実現できる。その時は,公認心理師よりもさらに立派な内容(具体的に…)の国家資格である。これには,医師も行政も,議員も賛成する約束まである。」というような反論が必要である。このような反論ができるのであろうか。


 <河合先生の存在欠如の行方―誤情報の発生>

 2005年当時と今と比べて,一番大きな変化は,河合先生の存在の欠如である。先生がご健在の頃は,臨床系は河合先生のもと,一致団結していた。葛藤は河合先生自らが抱えて,その整理された上澄みをわれわれに提示された。それ故に,われわれは悩まなくてもよかった。

 京都では,河合先生が身近な存在であったために,いつも最新の情報が聞け,方向性も分かった。中央と京都の差はなかった。むしろ,京都が中央のつもりでいた。状況判断するのに,河合先生お一人を注目していたらよかった。しかし,2006年8月に先生が倒れられてから,先生が持っていたような正確で質の高い情報が入らなくなった。河合先生が亡くなった後は,京都府は北海道,沖縄と情報という面では変わらなくなったのである。そのために疑心暗鬼が生じたのだと思う。(河合先生のいうことなら信用できたが,)今の執行部は信用ならない,という根拠のはっきりしない不信である。そのために,法案などの細部に対して,いちいち揚げ足を取るようなものの言い方となった。もし,河合先生が同じことを説明されたら,このような揚げ足を取るような態度をしなかったであろう。

 この情報のずれについて,筆者は早くから気づいていた。なぜなら,筆者が推進連など東京での体験と,京都の臨床心理士の人たちが持っている印象がかなり違っていたからである。筆者は,いったい京都の人は誰からの情報をもとに判断しているのか,と疑問に感じていた。京都府臨床心理士会会長として,このずれを多くの人に気づいてもらうために,代議員に期待した。本来ならば,会長の筆者が代議員になるべきところである。しかし,筆者は学会の方で,推進連などの動きを直接見ることができる。それよりも他の人が東京に行き,現状認識を正確にしてほしいと期待した。しかし,これは成功したとは言いがたい。任が重すぎたように思う。誰も河合先生の代理はつとまらない。結果的に,東京の執行部は信用できそうもない,という印象を京都に伝えることになった。

 中央から見ると,地方ではデマが流れているという風に見えるだろう。執行部は,何度も京都に赴き,説明するが,京都での会員は「本当には信用できない」と受け取る。そのためにやたらに細かい事実を突き詰め,如何に信用できないのかを証明しようとする。

 この代議員選挙での反対派,慎重派の「臨床心理士の専門性の継承・発展を目指す会」から出されているのは,この情報のずれの問題である。<臨床心理士の専門性の継承・発展を目指す>とあるが,これは「推進連の設置趣旨」そのものである。どちらかがニセ者ということになる。

 「目指す会」は「十分な議論,民主的な合意形成」を求めているが,これも誤情報である。現執行部は,これまで10年以上も「十分な議論と民主的な合意形成」をしてきた。

 また,情報開示という点からするならば,筆者の経験では今の執行部には隠すようなものはないと思う。心理学諸学会連合では,それこそ民主的な運営である。心理臨床系よりも民主的な運営である。合理性が支配している。

 筆者は,「十分な議論,民主的な合意形成」を本当に重要と思っている。公認心理師法に関しては,国会その他で,非常に多くの人の目に触れる。臨床心理学的な言い方によれば,全部意識化される。ただ,意識化したところで,現実の力関係(医師の指示など)はどうにもならない。これは今後の課題として残る。

 問題は,意識化されていない,盲点となっていることがら,すなわち,無意識部分である。臨床心理士なら無意識の重要性はすぐに分かることではないか。

 国家資格を考えるうえで盲点,すなわち「無意識になっているのは何か?」と常に考えるべきであろう。それは「認定協会に関する部分」である。この領域はタブーのように扱われている。推進連では,法案についてあれこれ議論するが,こと認定協会に触れる部分になると,誰も口を閉ざしてしまう。みんな何故か触れたがらない。

認定協会の理事会では,「国家資格問題を審議事項として取りあげてほしい」という提案に対しても,それを無視してきた事実がある。認定協会の理事会こそが「民主的な議論と決定」をしてこなかったと言える。認定協会の役員はどのようにして決まるのか,いつまでの任期なのか,そのようなことが透明化されていない。これと同じ体質が,臨床心理士養成大学院協議会であった。役員は選挙ではなく,「推挙」で選ばれてきた。(批判を受けて,最近は変わったが)筆者が研究科長として毎年この総会にも出席してきたが,この会は,「民主的な議論と決定」をしてきたとは言いがたい。今の役員も,前期の役員の推挙である。資格に反対する人を選んで,バトンタッチをしている。役員の正当性があるのか。これは筆者の直接体験からそういう報告ができる。

認定協会の組織自体について,誰も民主的な議論の対象としてこなかった。ここが無意識になっていることをこの際に自覚してほしい。対策は,その対象にまなざしを向け,あれこれおしゃべりすることである。資格法案の是非についても議論も重要である。放っておいても,議論される。議論される場合には,それほど変なことは起こらない。

 最後に,今の執行部はみんなが思う以上にいろいろ考えている。学部卒のことも,医師の指示問題についても,精一杯に考えた末のことである。すなわち,意識化した結果である。完璧とは言えないが,2005年当時よりもはるかに前進している。ここで国家資格を実現化することが重要である。しかし,資格実現化しても困難は続くことは疑い得ない。